息子と日帰り旅行。

今年のお墓掃除は変則的。

初めて日帰り敢行。

各家族が行ける時に出来る事をやる。

姉夫婦と母が第1陣。

弟家族が第2陣。

私は丑の日やお盆も有り

うなぎ店の1年で

1番忙しい時。

お盆明けの店休日をあてる

第3陣になった。

平日だし、1人で行くつもりだった。

ほんの数日前 息子が休みと言う。

一緒に行くって。

 

普段スマホにかじりついてる息子が運転する。

こんな機会なかなか無いね。

ここぞとばかり

いっぱい話し掛ける。

今日は息子のリクエストに最大限応えてみるか。

 

別府湾付近は霧が出やすい。

今日もすごいな  歌を唄いながら動画撮ってみる。

お墓で雨でもまぁいいや。

高速を降りてまずは氏神様にご挨拶。

生目さんこんにちは。ご無沙汰しています。

優しい風が吹く。

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そこからお墓は ほど近い。

第3陣のミッションはご近所挨拶、

枯れ枝の移動、伐採樹木の選定・・・くらい。

私1人の予定だったから先陣が殆ど

済ませてくれていた。姉や弟達に感謝。

 

何十年も家族揃って泊まりがけでやっていた

お墓掃除。一緒に来れなくてごめんなさい

御先祖さん。また揃って来れますように。

 

来て直ぐに息子の耳元を何かが過ぎる。

「うわぁーデッカイ甲殻類の羽音だった!」

息子、虫が苦手。

対象物を枯れ枝移動中に発見。


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カブトムシ!確かにデッカイ甲殻類・・・。

あっという間にミッションが終わった。

雨は気付けば降っていない。

有難いな。

お線香と蝋燭、般若心経を。

また来ますね。

 

 

ひと頃程の暑さは無いが 汗は かいてる。

どこか温泉入ろうか。

息子は小さい頃1度行った泥湯に入りたいと言う。

私は色んな理由で 1度でゴリゴリ・・・。

でも今日は息子のリクエストに応えるんだ

行くだけ行こう。

 

 

途中「地獄蒸しプリン」も食べたいとな。

お母ちゃんも付き合うわ。

仕方なく食べる。笑

大分名物鶏天トッピングカレーも食べよう。

お疲れ様。


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そこからすぐの温泉施設。

20年振りくらいかな。
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メインが混浴なのよ・・・(--;)
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直接地獄に入ってるってよ。
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こんなに遠かったっけ・・・
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まだかい?
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味が有りすぎるイラスト。

こんなの描きたい。

私は入り口の女湯に入っただけだから

直ぐに手持ち無沙汰。

湯あたりするから長く居れないの。

昭和な休憩所で息子を待つ。

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長い・・・。待ち長いよ・・・。

扉が開くたび違う人。

やっと息子が出てくる。

嬉しそう。

帰路につきながら話を聞く。

面白い事がいっぱい有ったみたい。

私パスして良かった。

 

高速に入る前に見た 観光バス。

可愛い名前。ナンバーもくるくるだ。

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普段は何でもないような事でも

1つ1つ拾っては沢山 笑って話をした

今回の日帰り旅行。良い時間だったな。

 

【 八っつぁん考 】

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手前の虹の絵の建物は

コミュニティセンター。

クリスマスのイルミネーションが

八の字に光った事で

いつも近くに居てくれる

龍さんの名前が

八っつぁんだってわかったのよね。

 


それからは、不思議な事が沢山有って

驚いたり信じたり否定したり。

 


「スピ好きをこじらせた人」って言われたり。

まぁ色々あったな。

 


人智のはかれない事が

世の中には沢山有る事。

委ね過ぎてはダメな事。

まずは動く事。

愛を忘れない事。

 

 

 

大好きな人に大好きと言って

引かれたりもしたけど

この失敗も学びのひとつかな。

 


子供達に言った。

「お母ちゃんもう大人には

なれそうもないから諦めた。

このまま朽ちていくけどよろしくね!」

2人共いいよーって笑ってた。

シングルを選んで4年。

やっと肩の力が抜けて来た。

 


神様、仏様、御先祖様、天使様

みーんな大好きよ。

どれかひとつを突き詰める気は無くて。

みーんな大切。私はそれで良いのよ。

今まで人の目ばっかり気にしてた。

嫌われるのが怖くて怖くて。

そんなゆうこもお疲れさん!

 


八っつぁんも神様も空も生活の

1部になってトライ&エラーを

繰り返しながら少しづつ進む日々。

これで合ってるかはまだ解らない。

龍さん笑ってるし

このまま

頑張ってみよ。

「う」な 毎日。

徒歩圏内で働き始めて、気付けば季節が変わってる。

お店が二丁目 ウチが三丁目。

今まで全く意識しなかったが表通りに出ると

既に炭火の香り。ここまで流れて来てたなんてね。

 

徒歩5分で到着。車やバスで通っていた今までを

考えると何て近くて快適。

お店に着くと各自の仕事が有り

黙々と準備。私は表の開店準備。

お掃除は勿論 毎朝のルーティンで息付く暇も無い。

中には毎朝届く活うなぎのお世話も。

届いたら水に放す。

時々どうしても輸送途中に命を落とすうなぎも

いて。「あがる」って言うらしい。

女として 既に あがってる私は死んでるって事かしら。

 

あがった うなぎは商品にはならず

他のうなぎにも悪い為 退かす。

いつもは20年いる先輩姉様が人知れず退かして

下さってたんだけど姉様最近膝が悪くて

しゃがめないって。私に掴めって。

40キロの活うなぎの中に手を突っ込んで

あがったうなぎを掴むミッション・・・・・・

うぅ・・・勇気いる。

しかし迷う時間も無い。姉様も困る!

「 うわぁぁぁー!」叫びたいけど我慢。

ニュルニュルするけど我慢。

今日は暑くていっぱい あがってる。

しかし3匹目くらいには諦めついて

掴むのも上手くなった。

姉様もう大丈夫よ。

 

活うなぎは次の日の朝にはみんな綺麗に

蒲焼になってる。チーフは毎朝5時起き。

頭が下がります。

朝、私が処理するのは残った骨。

骨せんべいを作る日以外は感謝してさよならするけど 骨せんべいにする為に

骨を洗うとね、割って数時間経ってるのに

骨が動く。生命力に驚く。

スタミナ料理の所以か。

 

お店のあちこちに神様を祀ってる。

始業前に準備しながら御挨拶するのが日課

「今日も頑張ります!お力添えを。」

心が落ち着く。

 

開店1時間前と言うのに既にお待ちの方々。

区内に唯一のうなぎ店とは言え凄いな。

開店時はさながらアトラクションの様。

みんなで声掛けあって開店。

 

今まで色んな所で働いてきた。

 「お客様来ないかなあー」ってゆっくり構えてた

今までやって来た仕事って何だったの。

毎日毎日が パニック状態の忙しさ。

慌てると 私は すぐに飲み込まれてしまう性分。

先輩姉様方は殺気立っている。

本当は慣れてる人は煽るべきでは無いと

思うが急かされる。

「落ち着けゆーこ!」って心で繰り返す。

初めは周りが見えなかったが

最近段々薄もやが晴れてきた。

 

うなぎって決して安くない。

みんなお祝いやイベントで楽しみに食べに来られる。美味しい物食べる時ってみんな本当に

幸せそうな良い顔される。

だから絶対に間違いは許されない。

姉様方も少しでも早く熱いものは熱く提供するために必死と解る。しかも皆さん ほぼ70代の方。

このパニック状態を日々こなしてる事に

リスペクトしか無くて。もう愛しかないわ。

 

今年の10連休も店休日の月曜以外全部営業で。

怒涛の忙しさを経験した。

でもこれは序の口。丑の日の忙しさは

これ以上と脅される・・・。想像つかない・・・。

きっと時間軸おかしいと思う程 密度が濃い。

 

 

2時半に休憩を挟み一旦みんな解散。

私は近くの父の病院へ。

母と昼ご飯を食べ父のリハビリ。

3時過ぎに1度ウチに帰り4時過ぎには再び

店に戻る。

何だか、ずーっと居る気分。

 

私の役目は、姉様方を穏やかにする事と悟る。

先回りしたり引いたりサポートを頑張ってる。

お客様にも また来たいと思って頂けるように

元気に笑顔を忘れずに。

 

みんなと心も通って来たみたい。

極めてみようと思う。

 

 

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事件を呼ぶ女 3 ( 今ココ )

2つの仕事が始まったが

週末だけ。会う度、繁華街のママも

ラーメンのマスターも私の生活を

とても心配してくれて。

どちらも 「 本当は 毎日来てほしいけれど・・・ 」と

不景気を嘆く。

 

平日の仕事。探さないとな。

父の病院へ向かう途中でパート募集の貼り紙。

老舗のうなぎ屋さん。

おじいちゃんや父と行った思い出の店。

 

募集は 10時~2時30分  夕方5時~8時30分

家から歩いて5分。お昼休みに病院に通えるなあ。

早速電話を掛けてみる。

1月15日のお店のお昼休みに面接が決まった。

 

面接して下さったのは 大ママとママ。

ざっと経緯を話して しばらく週末は

掛け持ちしている事も伝える。

とりあえずやってみることになり

いつから働けるか聞かれ

「 今日からお願いします。」

夜の部から出る事に。

急いで必要な物を揃えに家に戻り

すぐに出勤だ。

歩いて5分。なんて有難い。

今までやって来た事 全部活かして頑張ろう。

大きな声はラーメンや食堂で慣れてる。

お座敷に上がるのか・・・筋トレしよう。

オーダーも取ったら大ママが

「初日にオーダー取ったのはアンタが初めてや!」

と笑った。

仕事が全く無くなったと思えば

一度に3つの仕事を掛け持ちする事になった。

 

期間限定では無い仕事が見つかって

ホッとしたが 入ってみると驚く忙しさ!

1日の捌く量が決まっている為 売り切れると

午後からの仕事が無い事もしばしば。

しかもうなぎの生態は未だ謎に包まれていて

いつ とれなくなるかも解らない・・・・・・。

あれ?ちょっと不安・・・。

でも、忙しいと段々 楽しくなるスイッチが入る私。

よし! とにかく頑張ってみよう。

 

こうして 朝からお昼までうなぎ→昼休み父の病院→午後のうなぎ→週末は繁華街とラーメン店と言う

生活が始まった。

ラーメンとうなぎは時間勝負。

お客様を待たせない。

その感覚でおツマミを出し繁華街のママに

「ゆっくりお酒を楽しむ所よ!」って・・・失敗したり。 どの仕事もそれぞれ勉強になる。

みんなそれぞれ あたたかい。

 

本当は どっぷりぬるま湯に浸かって居ようと

思ってた。何の変化も無くただ静かに

過ごす日々を描いていた。

父の入院からいきなり氷水に突き落とされるような

出来事が休み無く続いたが、

今となっては これで良かったのだと思う。

言い表せない思いもまだまだ有るが

少しづつ残して行けるかな。

 

 

一度 底打つとハードルの高さも

変えられる事に気付いて今は全てが愛おしい。

 

3つ掛け持ちは1月一杯で終わり、

2つは無事に卒業。

2月からはうなぎ1本で頑張る事になった。

 

今も 繁華街のママやラーメンのマスターに

 「 時々ふと心配になる! 」と連絡頂く。

楽しく働いてると伝えると安心してくれた。

 

ありきたりだけど ご縁に感謝だなぁと

思わずにはいられない。

 

なんだかね  強くなってる。

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事件を呼ぶ女 その後。

さて。ポッカリと予定が空いた。

 

ちょっと考える。

父の看護を少しでも長くする為に

時短の仕事に移ったはずだった。

慣れるまで何でもやってみよう!とか

思っちゃうから 何でもやってみて

気が付けば片道1時間半以上掛けて

隣街まで仕事に行き 帰り着いたら

夜10時過ぎ・・・なんてザラになってた。

 

「あ、これ お知らせだったか。」

本来の目的から それ始めた事による

軌道修正・・・・・・なんてね。

今までの分も取り戻すべく病院に通う。

 

これだけ時間が有る事が

10年近く無かった。

リストラ、離婚などでずっと

追い立てられて走り続けて。

かといって 立ち止まる勇気も無く。

この機会に開き直ってみるか。

たっぷり病院通って

たっぷり眠った。

眠りが浅い事にも慣れ切っていたものな。

 

そんな生活をしばらく続けた頃、

バイトに誘われた。

週末の ピアノバーの裏方。夜の繁華街。

今までだったら きっと無理だって思って来た事。

チャレンジする事にした。

制服は 黒タートルに白シャツ、

パンツにギャルソンエプロンと言う

ボーイッシュな出で立ち。

私をマジマジと眺めてママが笑い出す。

「 なんか変だと思ったら

エプロン上過ぎよ!バカボンみたいになってる!

腰で履かないと! 」

完全にラーメン、食堂仕様。しまった・・・・・・。

 

裏方と聞いて居たのに表にも引っ張り出される。

「新入りさん!?いくつ?」

バツイチ子持ち。半世紀生きてる。」

ママが答える。うん。確かにその通りだけど・・・。

夢売らなくて良いの?!

飾らなくて潔い。

 

生き延びる算段はついた。

 

ラーメン店のマスターはその後

他の心配箇所も見つかり

入院が延びた。

この際オーバーホールして下さいね。

これはきっと良かったんだよな。

 

「 事件を呼ぶ女 」は

実のところちょっと

凹んでいた。

父、母、マスター・・・

私と関わると

みんな体調・・・・・・

考え掛けて かき消した。

「  きっと良かった・・・ 」心で 繰り返す。

 

父の病院、週末の繁華街をしばらく続けた頃

マスターから連絡が入る。

12月29日に退院。

その日から仕込みに入って

年末年始お店を開けると言う。

「 体力的にも不安が残るから手伝って欲しい 」

お見舞いがてら二つ返事。

「嫁」だった頃の年末年始は

勿論こちらに居ることも無く。

この時期に働くなんて面白いな。

 

30日。 再会の握手をし、無事を喜ぶ。

改めてラーメン修行お願いします。

同じ様にしたつもりでもなかなか上手く行かない。

何故この動きなのか聞いてみる。

理由を聞いてやっと合点が行った。

あとは数をこなす。

余程の常連さん以外は

大体作った。段々と大盛り、カタ麺など

織り交ぜて3杯位までは同時で作れるようになった。

大忙しの年末年始。

 

何故かラーメン作っている自分・・・

夜の繁華街で働く自分。

今まで知らずに掛けていた制限を

思わずいくつも外す事になった2018年が終わった。

洗ったラーメン丼を見たら龍さんも笑ってる。

何もかもお見通しみたいに。

ずっとそこに居たんだね。
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事件を呼ぶ女。

去年の11月の中頃。12月分のシフトが出る。

「ゆうこさん 今まだ8日分しかシフト決まってません」と連絡が入る。

移動販売は冬は仕事が減る。

その分社員優先で、

委託の食堂の方の仕事を回すって。

私 パートの身。何故か同じ会社に入った息子は

社員。息子に仕事が回った方が良いな。

なんて親心。

でも8日じゃ 年越せないじゃん。

 

その時期は、期間限定で フードコートの

仕事に入っていた。

隣の常設のラーメン店のマスターに

沢山助けて頂いた。

委託期間が終わる頃に仕事が無い事を

マスターに話した。

「12月忙しいから手伝ってよ!」

社交辞令かと思ったらホントだった。

 

私の8日分のシフトを社員さんで振り分けて

もらって、12月から私はラーメン店で

働く事になった。

週末がメインだがお陰で年は越せそう。

安堵した。

 

12月1日が土曜日だったからいきなり初出勤。

警備員室で入館の為、名前を記入する。

ちょっと前まで隣の店だったのにね。

警備員さんも笑ってる。

ラーメン店は常連さんも多く賑わっていて

暇を持て余し気味だった今までに比べると

新鮮だ。頑張らなきゃな。

アタフタしてる間に週末は過ぎ去った。

次の仕事は また週末。

そう思っていたら水曜日にマスターから連絡が。

「 ちょっと体調崩したみたいだから手伝って貰えないか? 」って。

すぐに向かった。

話を聞くと昨夜お風呂から上がって

ソファの上で1時間位、意識が無くなった

なんていう。冗談ばかり言うし

疲れが出たのかな?と話したが

仕事の合間、やたら裏で横になるの。

そして、起きてる時、ラーメンの作り方を

私に教えてくれて。

「 え!3日目で作って良いのですか・・・? 」

いきなりラーメンデビューする事に。

「そこに立ったからにはプロやからな!」

なんて言われて

「えぇーーー!」

でもやるしかないよ。

その合間もマスターは横になってる。

ちょっと心配だな。

「明日必ず病院行って下さいね!」

そう伝えてその日は仕事を終え

各自、車で別れた。

 

次の日、病院で点滴をしてきたと言う。

「過労」だって。診断ついてホッとした。

それでも本調子では無く

私の作るラーメンの杯数が増えていった。

 

その日は車が無くて帰り道が同じだったので

マスターに乗せて貰って帰る事になった。

仕事場を出てすぐに大きな道路に出る。

この街1番の交通量。

この近くに住む友達の話を聞いていた。

曲がってすぐの信号待ちで停った時に

突然言葉にならない声がして

見るとマスターが、意識を失っている!

助手席から意識確認しながら、ギヤチェンジ、

サイドブレーキハザードランプ

握ったままのタバコを奪い捨てる・・・

いきなりの自体に戸惑いながらも割と冷静だった。

 

程なくして意識が戻ったが、私が運転を代わる事に。

病院を勧めるが 「 事務所に寄る。」と、頑なだ。

でもやはり普段と違う為、

無理矢理 救急もある 病院に向かう事にした。

その間、マスターの家族に病院に

来てもらう連絡をして。

 

病院に着いてその時の状態を先生に話す。

詳しい検査の為に運ばれて行った。

「 この際しっかり診て貰って下さい!」

力無く笑ってる。

 

奥さんと子供さんが到着するまで私が話を聞く。

暫くして2人が到着した。

奥さんは不安そうで一緒に居る事に。

検査が全て終わった時には日付が変わっていた。

診断は「 一過性の脳梗塞

詰まりは無くなったが

また起こる確率は15パーセントと言われた。

低い数字かと思ったが

「とても高い確率です。このまま入院して頂きます。 」と先生。

 

病室に案内された後、マスターの車を

家まで運ぶ事に。

奥さんが病院付近に詳しく無かったので

大まかな場所をナビに入れて私が先導した。

自宅付近で先に行ってもらう。

駐車場を案内して頂いたが

どうも見覚えがある。

似たような家が並んだ場所では有るが

やはり気になる。

奥さんに 「こちらのお家・・・」と聞いてみる。

やはり的中。父が初めて教頭になった時の

校長先生の家だった。

家族も含めて本当に可愛がって頂いた。

出雲で結婚式をする私の為に前乗りして

一緒にどんちゃん騒ぎもして下さったのよね・・・

(ごめんなさい!先生、添い遂げられませんでした!)

 

校長ご夫妻はとうに亡くなっていた。

マスターと娘さんが同級生でたまたま再会し

東京に住む娘さんの代わりに家の管理を任され

住んでいると言う。

縁にちょっと震えた。

 

全て終わらせた時刻は夜中の2時。

帰る手段が無く、眠りかけていた息子に

迎えに来て貰った。

その車の中でやっと、色々と大変な事になったかも知れない事をジワジワ実感した。

それに比べたら仕事が無くなった位・・・。

 

そう。私はポッカリ予定が抜け落ちたんだ。

学生時代に貰った不名誉な称号。

「 事件を呼ぶ女。 」頭をササッとよぎる。

年は越せるのか・・・???

 

おめでと。

息子が成人式を迎えた。

こんな日は一緒に写真撮ったりするのかな?

私は仕事。先に家を出る。

リストラで九州に戻って今年で10年になる。

20年の内の半分は、しんどい思いをさせたのかな。

 

息子の出産時、予定日を大幅にオーバーしていた。

居心地が良いんだね!なんて笑っていた。

義父は初孫の誕生を心待ちにしていたけど

なかなか産まれないから会いに来る予定を

変更して自治会のソフトボールの試合に出た。

ポジションはキャッチャー。

途中、体調が悪くなり入院すると連絡が入る。

 

私もそろそろ産まれるから同じ病院ならお義父さんも喜ぶね!と出産の準備もして島根の実家に

駆け付ける。

 

家に着くと病院では無く

布団に横になるお父さん。

箒と鎌がクロスして乗せてある。

何が起こったのか判らず混乱した。

 

 

キャッチャーをしていた時ボールが跳ね返り

胸に当たった事で心筋梗塞が起こり意識を失った。

そして生命も失った。

あっという間だったそう。53歳。

若すぎる。

 

 

妊婦は葬儀に出てはいけない。

古い しきたりが有り

私は当時住んでいた鳥取にトンボ帰りする事に。

6月14日の事。

普段感情を殆ど表に出さない

旦那さんが声をあげて泣いていた。

意思の疎通が出来なくて

心に離婚スタンプカードが

いっぱい貯まっていたけど

それを見た時 チャラにしなきゃって思ったのよね。

あの時もソレを一人 胸の内で完結させず

きちんと話さないといけなかったんだと

思うけど。そこまで考えが及ばなかった。

 

14日から友引が続いて しきたりにのっとる為

葬儀が延びていた。

陣痛もつかないので 陣痛促進剤を投与される。

看護師さんが 様子を見に来る度

点滴の速度もどんどんあがる。

終わった途端痛みが始まる。

しかし思うように進まない。

22時間以上の陣痛の後に

息子が産まれてきたのは

17日の朝。

連絡を入れてもらうと

「今から家を出る(火葬場へ向かう) 」

お義父さん 待っててくれたんだと思った。

 

出産後はお乳が一滴も出ない。

母乳神話全盛期で 「足すと出なくなるから」と

ミルクも殆ど貰えず。

母子同室で一日中含ませるが出ない。

こんな状況で出る訳もなく。

息子と二人で 泣いていた。

様子を見に来た看護師さんに

「お乳が出ないと泣けるよねぇ」と言われた。

まぁそれもあるけど。違うよ・・・

 

 

葬儀が終わりお義母さんと旦那さんが

息子に会いに病院に来た。

周囲から葬儀終わってすぐに会いに行く事を

随分 非難されたらしいけど。

 

上の山に有る お墓にお団子 供えて

無くなっていれば義父さんは

「この世に未練がない。」って。

きっと未練だらけだと思ったけど

お団子は綺麗に無くなってたらしい。

ちょっとホッとした。

 

出産と葬儀が一緒になった事で息子に

いきなりデッカくて重たいもの

背負わせちゃった気がした。

この時ばかりは 本気で神も仏も無い!って

天を恨んだよ。でもね真っ暗闇の中

産まれてくれた希望の光みたいな気もした。

 

その数ヶ月後、初盆で島根に帰った時。

勿論 息子も初島根。

会う人会う人 息子を見たら泣く。

「ああ、この子がタルさん(義父さん)が

物凄く楽しみにしていた孫さんかい。」って。

 

赤ちゃんって無条件に笑顔で迎え入れ無いと

いけないと思うのだけど。

涙で迎えられる息子。

今思えばその時、心の奥で何かが割れたんだな。

 

その後も事ある毎に旦那さんが居なくても

息子と二人で島根に行ったりしていたけど。

私達が何日いても旦那さんが1日帰った方が

嬉しいんだと分かった時は ガッカリと言うより

・・・何とも言えない虚しさが走った。

 

あれ?息子よ おめでとうって言いたかったのに

どんよりしてるなぁ。

でも避けて通れない部分なので残しとこう。

 

貴方の屈託の無さに母ちゃんは

どれだけ救われたか解らないよ。

ありがとう。

 

続きはまた。

 

近い内に 二人で、ゆっくり飲もう。

おめでと。

m(__)m

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(この髪の毛とヨダレ・・・笑)

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(母不在の為自撮り)