ゆこの 『 さいの目 日記 』 🎲

コロコロ コロコロ 今日は どちらに転がりましょうか

もったいない。

最近  私が一番に 家に帰る事が有る。

娘は  お出かけ。 息子は先日から始めた仕事。

築年数の長い古い平屋。 真っ暗な家に入るのは

なかなか勇気がいる。

子供たちがいる時は 門灯がついていて

それだけで  ホッとあたたかい。

 

息子は 私が娘と連日激しいバトルを続けていた

ある日から突如、学校に行かなくなった。

朝、両脇の布団に高校、中学の不登校 二人。

私も ふて寝したい気持ちに駆られながら

生きる為に仕事に行く。

 

高校の先生から仕事中「今日も来ていません」と

連絡が入る。電話に出られない時に送ったショートメール 。

 やりとりするうち先生とはすっかりメル友になった。

 

マメな連絡のお陰で単位はギリギリ落とさずに

超低空飛行   最低限だけ通う日々。

高校三年   進路の時期。

息子は料理の道に進みたいと言ったが

私は将来を考え理学療法士をすすめ、最終的に息子は私の願った道を選んだ。

卒業式の前日まで欠席し やきもきしたが

当日は 出席した。

 

 

専門学校入学後、何とか通ってくれていて安堵していた矢先、仕事中に 又も「来ていません」電話。

情けなく悲しくなった。

行ったり行かなかったりを繰り返す中

「やはり料理がしたい。」と打ち明けられた。

「自分で決めた道なら頑張れる。」と言う。

その頃、親の思い通りになる事ばかりが 良いのではないのかも。と 思い始めていた。

決められた道では生業にするのは辛いよね。

 

不安も残るが、

息子に任せる事にした。

 

 

退学後、あっという間に自分で仕事を探して来た。

それ以来、 毎日遅くまで働いている。

毎晩「今日はどうだった?」と聞いてしまう。

続けば万々歳。位で 応援しようと思いながら。

 

娘が 出掛けていた夜、 真っ暗な家に帰ろうと目をやると、  門灯がついている。

「?!」 気持ちが はやる。

玄関も開いている!   自転車も有る!   靴もある!

まさか まさか まさか!!

息子の名前を呼びながら 足早に ウチに入る。

「  ・・・ああ やはり また行けなくなったのか!!  」

考える事はマイナスの事ばかり。

聞こえよがしに  大きな ため息をつく。

 

一番奥のキッチンに息子がいた。

「ねえ?? 休んだの!!? 仕事!!」

 

小腹を満たすカップ麺を食べながら

ゆっくり 息子が言う。

「  ん? 今日は 休みだよ。カレンダー見てん。」

私がデカデカ 赤マルで休みと書いている・・・。

 

信頼する 任せると口では言いながら、

どこかで

「 また きっと 繰り返す! 」

と思い込んでいた自分に気付いて

申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいになった。

 

電気がついてて 温かい気持ちで

帰って来れたはずの家に、

自分の失態で焦って上がり込むなんて。

もったいない事をしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この半年。

思い違いをしてた。

学校に行かなくなった娘に、少しでも寄り添いたいと思った。一緒にいて。と言われ仕事を欠勤し

挙げ句の果てに家の近くに転職までした。

仕事中も頭から離れる事はなかった。

帰りに学校に寄って先生と話した。

何の決定打も見つからないまま日にちが過ぎ

気持ちが焦る。

こんな事をしても解決にならないのはどこかで分かっていた気がする。

でも、リストラからのマイナス始まりの六年間。忙しさにかまけ、きちんと向き合えなかった後悔がつきまとう。

そんな時、ちくさんとマミさんに出会い色んな方面からアプローチを頂き、自分の間違いを確信した。

でもすぐには動けなかった。

 

新しい仕事は郡部の役場に書類の授受をするのが主な役目だった。毎日100キロ以上運転した。

 

お昼休みは自由だったこの仕事。

途中、酒饅頭屋さんが目についた。寄ってみて駐車した車の中で食べていた。

お店のおばさんが熱いお茶を持って来て下さった。お湯呑み小さいからと二つ。お饅頭もさることながら、お茶が美味しくて、

おばさんの気持ちが嬉しくて染み入った。

それから近くを通る時は寄るようになった。その度美味しいお茶を淹れて下さる。

お湯呑みを返さなくて良いようにと途中から紙コップまで。心遣いが嬉しかった。何よりホッとする。

 

相変わらず長い距離を運転する日々。

職場環境は悪く、沢山乗る車の整備の事で揉め、

上司に話をしたその日に退職する事に。

流れから「今日で辞めます!」と言い放った自分に驚きながらも 山盛りの荷物を

自転車いっぱいに積み

腕にも車掃除のバケツを引っ掛け退職した。

ペルーの人形みたいな自分の姿に笑いが出る。

あの人形確か願い事が叶うんだっけ。

 

この仕事に変わるまでは6年お世話になった職場で

最後は欠勤ばかりし迷惑を掛けたが

本当に、良くしてもらった。

盛大に送ってもらったのに、

たったの数ヶ月足らずで辞めるとは。

紹介して貰ったハローワークに事情を話すとすぐに次の求人が数件送られてきた。

その中にお茶屋さんが有った。

お饅頭屋のおばさんのような人を癒すお茶が淹れたい!と即、面接の予約を入れた。

それからは紹介状を貰い、

次の日面接、

その場で採用を頂き

月曜に退職してから

その週の金曜には別の仕事を選んだ自分がいた。

 

今、一日があっという間に過ぎる程忙しい日々を過ごしている。

美味しく癒すお茶を淹れるには

もうちょっと修行が必要かな。

しかし楽しくて仕方が無い。

その間、子供たちの事で色々と有ったが休んだりして寄り添うのは自己満足と気づき

休むのをやめた。自分の仕事に集中。

無理にお母さん面するのもやめた。

出来ない事は出来ないと伝えるようにした。

 

夏休みに入ったが、新学期から行けるかなんて

分からない。でも私がどんな状況も受けとめる余裕が出てきた。

ふつふつ湧いて来てた後悔や不安はぐんと軽くなった。

 ちょっと歩みを緩めようと思ったお盆休み。

 

 

 

嬉しい くたくた

仕事が終わってバスを待っていた。

三歳くらいの男の子と一歳前の女の子を連れた夫婦がバス停にやって来た。

お祭りに行くんだろうな。微笑ましく見てた。

男の子は元気いっぱい。家族でお祭り。

久しぶりのバス。ワクワクするのは仕方ない。

スキップしながら

ちょっとバス停から離れてしまった。

お母さんが叫ぶ。

「バス停いないならお祭り行かない!」

バス停の隣に派出所が有る。たまたま外に出て来たお巡りさんを見て

「ほら!いい子にしてないから捕まえに来た!」

男の子は泣き出した。

切なくなった。

 

息子は、外に出ると あっという間にいなくなる子だった。いつも買い物より探すのに時間を取った。

時には店内放送で

「お母さん、息子さんがお待ちです。」私が迷子の様に呼び出されたり。

 

下の娘の最初に発した言葉。

マンマでも、ワンワンでも無く 怒り口調の息子の名前。私がどれだけ娘を抱いたまま息子の名前を呼んでいたかが伺える。失笑。

 

手首をしっかり握ったら逃げられないのでいつもその握り方をしていた。

ある日いつもの握り方で手首を繋いだ時息子が言った。

「お母ちゃん、もうどっか行ったりしないからその握り方やめて。」

「どうしていつも居なくなってたの?」

「色んな物が見たかった。」

ドキンとした。

色んな物が見たかったんだ。

 

知らなかったらイライラしたり、ハラハラしたり。

伝え方を間違うと根っこが傷付いたままだったり。

バス停のお母さん。もう少し別の伝え方が有ったのかも。と思った。

 

今日、私が入っている起業塾、萌えコンのグループコンサルで、「もし 講座を開くなら。」と問われ

他にも有ったはずなのに私は

「イヤイヤ期の子育てを楽しんで貰う講座」と言ってしまった。そう。言ってしまった。

どんどん問いを重ねる内に、今までの自分の経験。

もしかしたら全部どこかに役立って実現出来るかも・・・なんて。

ひとまず中身がスカスカなので忘れずに積み重ねて行こうと思った。

グループコンサルの後は普段使わない脳みそをムリに使うし緊張感で疲れ果ててしまうが、

その何倍も充実感が残る。

私の的はずれな答えにも、ちくさん、まみさんは

わかり易くアドバイスをくれる。

時間がかかっても、

きっと、カタチにしたいな。

見えて来たもの。

http://yukopin601.hatenablog.com/entry/2017/07/20/234427

(↑上記の続きです)

娘は幼い頃からとてもしっかりしていて、何でも自分でやらないと気が済まないし、私が居なくても平気で祖父宅に泊まる事も出来た。余り年の変わらない従姉妹の面倒もよく見た。

私がくよくよしているとビックリするような答えをくれていた。

その子が今、暴言を吐いたと思えば

「近い所で働いて欲しい。早く帰ってきて欲しい」と言っている。

ただ強がっていただけだったんだね。

弱音ばかりのお母ちゃんを前に背伸びするしか無かったんだね。

忙しさにかまけたにしても、鈍感過ぎる私。

気付けて良かった。聞き分けの良い子と思い込んでこのまま勘違いしていたとしたら・・・

ゾッとした。

近くで仕事を探す事にした。

 

その頃、前々から気になってメルマガを読んでいた

竹庵顕さん(ちくさん)と杉本真由美さん(まみさん)が、起業塾を開いたと知った。

そのセミナーが福岡で有ると言う。

私は、二人にどうしても 会いたくて 申し込みをしていた。何故そんな勇気が出たのか未だに不思議だ。

プチセッションで、温かくも厳しくばっさり斬られる。「 で?貴女はどうしたいの? 」

人の事ばかり気にして、自分が置いてけぼりなのに初めて気付く。

そのまま私は、起業の予定などまるで無いのに

起業塾に入った。

 

勉強の一環で

出来れば一生向き合いたく無かった

過去の感情に向き合う事になる。ずっと蓋をしていたモヤモヤに出会う事になる。

しかし沢山の濃いメンバーと知り合う事が出来、

刺激も激励も受けた。追いつけない焦りもあるが

人と比べる必要は無いとちくさんに言われた。

負の感情に押し潰されそうになっても まみさんや仲間が居る事で昇華される様になってきた。

 

一度には今までの負の感情を手放す事が出来ず行ったりきたりを繰り返しているが、近頃随分

身軽になり「周りは。 みんなは 。普通は。」と言わなくなり 

子供達に対してもどんな未来も受け止める覚悟を決めた。

 

私がゆったり構えると子供達はこうも生き生きとするのか。

今、家族三人なかなか良い感じ。

時々言い争いも有るが・・。

娘に「ウチは反抗期が二人も居て大変!」と言ったら 「?? 私とっくに反抗期終わってるよ?」と言う。「じゃあ、時々キレるのは?」と問うと

「あれは女性ホルモンの揺らぎ。」

笑うしか無かった。

 

誰も助けてくれないと思って居たが実は周りは優しく見守って私が助けを求めれば幾らでも手を差し伸べてくれて居た事。

心配は思い込みから来て居た事。

自分を大切にしないと何も始まらない事。

幸せが見えなかったのは、ずっとそこに有るのに見て居なかったからと言う事。

 

気付かせて貰えた事に喜びでいっぱいだ。

 

 

 

 

勘違いの日々。

http://yukopin601.hatenablog.com/entry/2017/07/13/024141

( ↑上記の続きです。)

 

娘は不安定になって、まともに話は出来ない。

かと思えば

甘えて来る。

自分のせいで私が仕事を休むのを嫌がるが

行こうとすると、いて欲しいと言う。

ずっと向き合えなかった後ろめたさから、

これが正解では無いと思いつつも

会社にメールで年休を告げ

一緒にいた。

あっという間に休みは無くなり

欠勤になった。

それでも職場は理解、協力してくれて本当に有難かった。

 

触れようとすると逃げ、引っ掻き、知らん顔すると寄って来る 子猫と暮らす様な生活。

突然、家を飛び出し心配で眠れない。

夜中に迎えに来てと電話が有りタクシーを飛ばす。朝方お腹が空いたと言ってくる。

出来る限りのご馳走を作る。

昼夜逆転の生活。疲弊して行った。

 

こんな生活がしばらく続いた頃 古い友が電話をくれた。

昔から私のピンチが判るらしい。

話している内、私は声を上げて泣いていた。

子供の様に大声で泣いた。

もう何年も涙なんて忘れていた。

その夜、友がお肉がタップリ入ったミートソースを届けてくれた。

食べる事で、こんなに元気が湧くなんて。

友は忙しい中、何度もご飯を作ってくれた。

食べながら泣けた。

 

昼夜逆転と欠勤続きの中、学校に行かなくなったが、社会とは繋がっていて欲しいと思った。

娘と回ろうと、クレープの移動販売車の仕事を習う事に。しばらく研修をし独り立ち出来そうになったが当の娘は全く乗り気にならず。

あえなく断念した。

 

その頃の私は、とにかく世間体ばかり気になってた。上手く行かないと全部離婚したからだと思い込み、ヒステリックになった。

子供達は「そうではない。今は、自分のやりたいようにしているだけ。」

何度もそう言ってたのに 聞き入れる余裕も無く。

自分で自分のクビを締めていた事すら気付かなかった。

※続きます。

私。

幼い頃から、

「優しいね」

「将来良いお母さんになる」と言われていた。

通知表にも「陰日向がありません。」

素敵な言葉。

 

でも何十年も何処かに違和感が有った。

結婚、育児に躓いた時、これらの言葉がずっと

グルグル回っている事に気づいた。

 

優しくなんかない。

ただ言い返す事が出来なかっただけ。

みんなに良い人と思われたかっただけ。

ただの偽善。

 

陰日向なら限りなくカゲだ。

 

良いお母さん、妻、なれなかった。

元々出来ない事だらけの私が、なれる方が奇跡。

 

この言葉達は私にこうあって欲しい願いだったのかも知れない。

 

気付いて、違和感が消えた。

これからの私。どう生きるかな。

 

 

ミラクル??

広島に住んでいた時、隣だった人の親友が

私と同郷と言う。でも、地区も年齢も違う。

その地区出身だった友達の名前を挙げてみると、

学生時代、毎週末泊まりに来る程の仲良し、

結婚式にも来たと判明。

 一瞬何処に住んでるか分からなくなった。

 

Facebookで見かけた商工会のカレンダーの図柄として採用されたぬいぐるみ。

物欲が無かった私に久々欲しい気持ちが芽生えた。

近くで置いてあるお店は一軒。

午前に1度行きかけてなんとなく午後に変えた。

 

お店には1体有ったが非売品だった。

名残惜しく抱っこしてお店を回っていたら

雰囲気の有る方が来店。

ぬいぐるみの作者さんだった。

お店でぬいぐるみの展覧会をしたい

と話に来た所だった。

 

数ヶ月後の展覧会。

きっかけのカレンダーの話をした。

同じ時に見に来ていたお客さんが、

カレンダーを載せた商工会の人と知らされた。

手帳に挟んでいたカレンダーを頂いた。

 

新しい職場で一ヶ月限定で復帰し、

指導して下さった方の息子さんが

熊本で働いていると聞いた。

 

昔、一緒に働いていて

旦那さんの仕事の都合で熊本に帰った友達と

音信が途絶えて会いたい事を話した。

 

息子さん。 友達の旦那さんと同じ会社と判明。

すぐに連絡が取れ今日、友達が、こちらに来てくれて23年振りの再会が出来た。

 

数年に1度 「世間は狭い。」「出会いは不思議」「縁を大切に」と気づかせてくれる出来事。